柿沼氏のチャレンジ
今年3月、Midtown Art Cinemaにおける「JIRO DREAMS OF SUSHI」の上映会で日本の鮨職人の世界を中心に食文化について講演してくれた中藤レストランの鮨シェフ柿沼利治(かきぬま・よしはる)氏が、本日8月2日を最後に中藤レストランを去りることとなりました。
柿沼氏は、日本の寿司店の三代目で、中藤レストランで10年間鮨をにぎり、多くのお客様と英語でコミュニケーションをとりながら、鮨の更なる普及に努めてこられました。「KAKIさん」の愛称で親しまれ、柿沼氏との別れを惜しむお客様が連日来店し、中藤レストランでは最近は柿沼氏の送別会状態となっています。
柿沼氏は、日本の寿司店の三代目で、中藤レストランで10年間鮨をにぎり、多くのお客様と英語でコミュニケーションをとりながら、鮨の更なる普及に努めてこられました。「KAKIさん」の愛称で親しまれ、柿沼氏との別れを惜しむお客様が連日来店し、中藤レストランでは最近は柿沼氏の送別会状態となっています。
柿沼氏の目標は、海外の人に日常食としてお鮨を食べていただけるよう普及していくことであり、今後は銀座の名店「鮨よしたけ」の香港店開設に携わっていくとのことです。
アトランタには多くの日本食レストランが存在しますが、日本人の鮨シェフは数えるほどであり、今月は柿沼氏がアトランタを去ると共に、レノックスモールに近接し、アトランタ市民のみならず、近隣州の在留邦人にも親しまれた「橋口」も閉店するという寂しいニュースが続いてしまいました。
アトランタには多くの日本食レストランが存在しますが、日本人の鮨シェフは数えるほどであり、今月は柿沼氏がアトランタを去ると共に、レノックスモールに近接し、アトランタ市民のみならず、近隣州の在留邦人にも親しまれた「橋口」も閉店するという寂しいニュースが続いてしまいました。